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「待ちぼうけ【ギター版】」 / 山田 耕筰 
Machibouke ( Guitar )/ Kousaku Yamada


BGM

【   曲 名    】

【   作曲者名  】
【 データ作成者 】
【   データ形式  】
【   対応音源  】

「待ちぼうけ【ギター版】」 
Machibouke ( Guitar )
山田 耕筰 ( Kousaku Yamada )
ELIXIR ( elixir@guitarsound.net )
.MID ( SMF / FORMAT 1 : TimeBase=480 )
SC-88/VL/ST/Pro/STPro( A-PORT only )対応音源のない方はMP3をお聴き下さい。

 「からたちの花」「この道」に続いて、山田耕筰の第3曲目です。

 山田 耕筰(やまだ こうさく、Koscak Yamada、1886年(明治19年)6月9日 - 1965年(昭和40年)12月29日)は、日本の作曲家、指揮者。
 日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めた。また、ニューヨークのカーネギー・ホールで自作の管弦楽曲を演奏、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィルハーモニー交響楽団等を指揮するなど国際的にも活動、欧米でも名前を知られた最初の日本人音楽家でもある。
 当時の日本では、外国の曲に日本語の訳詞を付けたものが多く、これでは日本語の韻を踏んだ歌曲ではないとして、特に日本語の韻と抑揚を活かした歌曲を目指し、実際に多くの素晴らしい歌曲を作曲している。

 代表的な作品は、歌曲、童謡、オペラ、交響曲、協奏曲、その他管弦楽曲、吹奏楽曲、映画音楽、室内楽曲、ピアノ曲、合唱曲、軍歌、校歌、自治体歌、社歌など幅広い。

 父親は医師兼キリスト教伝道師であったが、耕筰10歳の時に父を亡くし、父なき後は自営館(後の日本基督教団巣鴨教会)に入館し、13歳まで施設で苦学する。13歳のとき、姉のガントレット恒を頼り岡山の養忠学校に入学し、以後、姉の夫のエドワード・ガントレットに西洋音楽の手ほどきをうける。
これで音楽に目覚め、めきめきとその才能が開花した。
 関西学院中学部中退などを経て、東京音楽学校予科〜本科声楽科卒業。その後ドイツはベルリン音楽学校作曲科に留学。このベルリン留学時代に日本人初となる交響曲「かちどきと平和」を作曲した。
帰国後に東京フィルハーモニー会の管弦楽部主席指揮者となったが、女性問題のトラブルで日本を追われ、アメリカに渡り、カーネギーホールで自作を中心にした演奏会を開くなどで、喝采を博した。
 戦時中は、軍部に寵愛を受け、情報局管轄下の「日本音楽文化協会」発足、副会長に就任、また音楽挺身隊を結成してしばしば占領地での音楽指導にも携わる。将官待遇となりしばしば軍服姿で行動した。
これにより、戦後になり、彼の戦犯問題に発展し、多くの議論が生じた。その最中に脳卒中となり、以後体が不自由となり、音楽家活動は終わった。
 金や女性問題で何度かトラブルを起こした、ある意味自由奔放な人生は、79歳という長寿で、心筋梗塞で急死することで終わるという幸福な人生であったようだ。

 今回の選曲「待ちぼうけ」も、親友の作詞家北原白秋とのコンビで作ったものである。満州国の日本人たちに、満洲にちなんだ、しかも格調の高い音楽教材をほしいという満洲教育會の依頼によって作られたもので、満州国唱歌として採用された。
昔宋に農民がいた。彼の畑の隅に切り株があり、ある日そこにうさぎがぶつかり、首の骨を折って死んだ。獲物を持ち帰ってごちそうを食べた百姓は、それに味をしめ、次の日からは鍬を捨て、またうさぎがこないかと待っていたが、二度と来なかった。そのために作物は実らず、百姓は国の笑いものになった。
この民話をもとに作られた滑稽な曲である。
ギター編曲でも、それなりに面白いと思うが、どうでしょうか。
ご試聴をよろしくお願いします。

データ作成日:2016/01/09
データ公開日:2016/01/09
FileName : machibouke.mid


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