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BGM is Asturias ( Suite Espanola No.5 )【 for Guitar 】 / Isaac Albeniz
BGM は アルベニス作曲 「アストゥリアス(スペイン組曲第5番)」【ギター版】 |
ギター Guitar |
河野 賢 プロフェッショナル-R 1995(河野ギター) Kohno Model Professional-R 1955 ( Kohno Guitar ) その他2本 |
他の楽器 other Instruments |
Bararaica : M.Kohno 1982 Ukulele : Shenandoh by Martin Mandolin : Suzuki Grand Piano : G3E by Yamaha Digital Pianl : Roland .....etc. |
MIDI音源 MIDI Sound |
SC-88 Pro (ローランド) SC-88 Pro ( Roland ) |
打込みソフト Sequencer soft |
レコンポーザ Win95 R3( カモンミュージック) Recomposer for Win95 R3 ( Comeon Music ) |
コンピュータ Computer |
( DELL ) PRECISION 360 < 3.0GHrz, 2GB > Windows 2000 |
父はアマチュア音楽愛好家、母は元タカラジェンヌ(娘役でソプラノ)という音楽的には恵まれた環境に育った筈なんだが、小さい頃は「おばぁちゃん子」として育ったためもあり、お経や義太夫、浪曲なんかが音楽的環境でした。
私自身の音楽との関わりの最初は小学校の入学式での飛び入り独唱。その頃から人前で演ずるのが好きだったようで、それは今もずっと続いているようです。
素晴らしいボーイソプラノだった(笑)子供時代は合唱団のソリストとして活躍したが、12才頃の変声期の歌いすぎがもとで声量〜音域が落ちたために歌手になるのを諦めました。特に姉がこの世の声とは思えない素晴らしいソプラノ歌手として育っていったことも大きな要素だったでしょう。
今ではジャズ・スタンダード、スペイン演歌、シャンソン、ハワイアンソングなど幅広いレパートリーを持つ宴会用の歌手であるが、スナックなどではたまには日本の演歌をうなることもある。
小学校4年生の時に初めて笛での独奏をしたのがきっかけで、笛に魅せられ、各種の笛を経て、スペリオファイフとかいう横笛に出会ったのが強烈な印象でした。 四六時中そいつを肌身離さずに,毎晩近所の浜辺にでて吹きまくっていました。その後は当然のようにフルートに憧れていったんですが、当時の経済状況では触ることも出来ませんでしたね。
中学校に入り吹奏楽部に入って念願のフルートに触れることが出来ましたが、そいつがひどいおんぼろだったこともあり、また吹奏楽では何といってもトランペットが主役ですから、いつしかトランペットに転向していました。
その後はラッパ類を中心にあらゆる管楽器を吹きまくりまして、そのおかげで軽音楽で飯が食えるくらいにまでなりました。
その後は管楽器やギターだけでなく、いろんなジャンルの音楽や楽器にも興味を持ちましたが、家庭経済の事情もあり、銭の取れる音楽に力を注いだこともあり、ハワイアンバンドを中心に学費を稼ぐことになります。
大学時代はほとんどがホテルやアルサロでバンドマンとして過ごしました。当然大学の講義中はほとんど寝ていることになりました。それでも何とか卒業出来て国試もクリアできたのは、まさしく旧きよき時代であったと言うべきでしょう。
私の中学の頃にはなぜかギターが大流行の時期がありまして。私も中学3年頃にすごい安物を手に入れました。
そのころは普通だったようですが、クラシックギターにスチール弦を張ったもので、楽器の付録として「古賀ギター30日間独習」なんてのがついていました。このギターを毎日文字どおり「血の出る」練習をしました。鉄の弦では実際に左指からは簡単に血が出ます。このギターにナイロン弦を張りましたが、この弦がなんと楽器より高くついたんで驚きでした。
この安物楽器に上等のナイロン弦を付けた楽器で毎日アルペジオやスケールの練習ばかりしていたもんで、家族やご近所にはかなりの迷惑をかけたようです。特に中3の夏休みには1日16時間くらいは弾いていました。
まだギターを初めて1年にも満たない高校1年の時に、しかも全くの我流独学で、無謀にも文化祭でギター独奏を演じましたが、意外に好評でした。女っ気のない男子高生にとっての年に一度のチャンスであった文化祭で、多くの女子高生の聴衆を前にしての独奏は天にも昇るような気持ちでした。普段は気の弱い私ですが、なぜか多くの人前での演技では上がった経験もなく、今もギャラリーが多いほど何事もうまくいく質を引き摺っています。これは多分に母親の血が大きな影響を与えているんでしょう。ちなみに姉も同様の資質のようで、東京混声合唱団のソリストとして長年ソプラノを勤めていましたが、舞台に上がるまで
は非常に緊張するが、いったん歌いだすとなんともいえず気持ちよくなると申しています。変な姉弟ですね。
その後多くの趣味や仕事に追われて徐々にギターから遠ざかってしまったが、今でも最も愛する楽器はギターです。
本業の忙しさから楽器の演奏から遠ざかっていましたが、1995年の阪神大震災後に縁あってMIDIなるものに出会いました。そのきっかけはニフティサーブのFMIDIっていうフォーラムに入ったことです。震災時の緊急連絡手段の一つとしてパソコン通信の可能性を探っていったのがきっかけでしたが、いつしか初心を忘れて、MIDIのとりこになり、当初はFMIDIDFにハワイアン演奏を、その後はFMIDICLAにギター演奏をMIDIで作成することにはまってしまいました。長年のブランクと老化によって、指が動かなくなり実演が出来なくなっていた私にとって、MIDI は大変素晴らしい贈り物です。これで老後の楽しみが増えたわけで、死ぬまで退屈することはないでしょう。
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